東京国立近代美術館で開催中の「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」。まさに青森で生まれた一人の青年が「世界のムナカタ」になるまでの物語です。棟方の小学校の頃のあだ名は「セカイイチ」、口にしていた将来の夢からつけられたそう。まさに40年後には、国際美術展で受賞を重ねて、「世界のムナカタ」と呼ばれるようになります。
展示構成は、生誕地・青森、定住地・東京、疎開地・富山と、棟方の暮らした土地をたどっていきます。入口近くのガラスケースの中に、ゴッホの《ひまわり》がカラーで掲載されている文芸・美術雑誌『白樺』(1921年刊)が展示されています。そう、棟方青年は、18歳でゴッホの絵に出会い、激しく感動、「わだ(我)はゴッホになる」と21歳で上京をします。
最初は油絵を描いていたものの、1928年頃から、版画を主に制作するようになります。ちなみに棟方は、版画を「板画」と呼びました。伝統的な版画とは一線を画した、彫刻的な表現と深い彫りが特徴で、板に直接絵を描く「板に画く」という意味で、「板画」としたそうです。
そして1936年に民藝運動と出会い、素材や技法、主題や表具に至るまで、作品に民藝的な要素が織り込まれていきます。きっかけは、展覧会に全20図に及ぶ長大な作品を搬入したところサイズが大きすぎて陳列拒否となりかけ、偶然通りかかった柳宗悦に見いだされて全図展示となったとか。この作品、『大和し美し』(1936年 日本民藝館蔵)も展示されています。確かに大きい。この頃から、宗教モチーフの作品、曼陀羅形式、釈迦や空海、観音などをモチーフに力強く制作を進めます。
戦時中は富山県福光町に疎開、書や肉筆画の仕事を多く受けます。そして戦後は東京・荻久保に転居し、谷崎潤一郎の「鍵」など多数の挿絵を手がけます。
そして1955年のサンパウロ・ビエンナーレで版画部門最高賞、翌年のベネチア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞し、「世界のムナカタ」として国際的な評価を受けます。ベネチア・ビエンナーレの日本館で、浮遊するように梁から吊り下げられた棟方の『湧然する女者達々(ゆうぜんするにょしゃたちたち)』(1955年)は、当時の映像によって確認することができます。1959年には、渡米して詩人ホイットマンの詩集を版画で表現しています。
そして1960年頃からは、青森県新庁舎の正面玄関など、公共建築の壁画などの大作が増えます。ある一定の大きさを超えると、作品は個人所有を超えて、「みんなのもの」になる。私もつい先日、たまたま倉敷国際ホテルのロビーで、壁画『大世界の柵』を鑑賞しました。2画面の総長が26メートルで棟方最大の板画(版画)は、今の時代も圧倒的な個性、力強さ、自由さを感じさせてくれます。もちろん「みんなのもの」なので、無料でいつでもソファーに座って観ることができます。
板画(版画)、倭画(肉筆画)、油画といったさまざまな領域を横断しながら、本の装丁や挿絵、包装紙などの商業デザイン、公共建築の壁画、そして映画、テレビ、ラジオ出演にいたるまで、縦横無尽に駆け抜けていきました。本展では、棟方志功とはいかなる芸術家であったのかを、改めて知り、学ぶことができます。
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ
開催期間:2023年10月6日(金)~ 12月3日(日)
休館日:毎週月曜日
開館時間:10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)入館は閉館30分前まで
会場:東京国立近代美術館
入場料(税込):一般 1,800円、大学生 1,200円、高校生 700円、中学生以下 無料
詳しくは、https://www.momat.go.jp/exhibitions/553
Text / 糸藤友子
リクルート→ベネッセ→ミズノを経て、現在は脳科学ベンチャーで、脳の可能性を最大化するためのサービス開発(【Active Brain CLUB】https://www.active-brain-club.com/)などを担当。認知症の知識や予防の技術を学び「認知症予防専門士」と、発酵の原理・歴史・効果などを学び「発酵マイスター」の資格を取得。脳腸相関に基づき、脳活と腸活による健康寿命の延伸をミッションとして活動中。