京LIFE:京都国立博物館で豊臣秀次公四三〇回忌 特集展示『豊臣秀次と瑞泉寺展』

 かの天下人・豊臣秀吉の甥、豊臣秀次の430回忌にあたる今年、秀次一族を偲ぶ瑞泉寺の寺宝展が京都国立博物館で開かれています。

三条河原で秀次の妻子たちが処刑されるのを橋から多くの人が眺める 『秀次公縁起』(部分)京都・瑞泉寺

 豊臣秀吉の甥っ子(姉の子)として生まれた秀次(1568~95)は、秀吉の養子となり後継者として着々と出世し、ついには関白にまで上り詰めました。

しかし、秀吉と側室淀殿との間に実子が生まれると、その立場は一変。次第に秀吉との関係性は悪化し、やがて文禄4(1595)年7月、謀反の疑いにより関白の職を解かれ、秀次は高野山(和歌山県)へと追放されます。

数日後、秀次と側近たちが切腹しただけにはとどまらず、8月には秀次の正妻や側室、その子供たち30人余りまでもが三条河原で全員処刑され、一族が根絶やしにされるという極めて残虐で凄惨な出来事へと発展します。

この出来事はのちに「秀次事件」と称され、天下人秀吉の悪名は後世まで語り継がれることとなります。

秀次の正妻 菊亭晴季の娘・一の臺(いちのだい)辞世和歌 

 この秀次事件で連座した妻子たちの辞世の句は、美しい女性の着物の生地で表装され、20幅の掛け軸にした展示になっています。ひとつひとつ見ていくと、女性たち一人一人の人生が感じられ、突然、恐怖の内に最後を迎えた姫君たちの無念さ、恐怖、そして計り知れない悲しみとそれらを超越した心の平安を祈る姿までもが浮かんで来ます。本人が着た衣装という説もあるようですが、時代は近いのですが、江戸初期の裂地と考えられているようです。

展覧会雑感 姫君たちの辞世の和歌が並ぶ

 中でも駒姫とも伝わる出羽の国 最上義光の娘・伊万(いま)は、結婚したとはいえまだ秀次と実際対面もしていなかったと言われ、最上氏の必死の助命嘆願もあと少しのところで間に合わず、駒姫は三条河原で刑場の露と消えたという悲劇が印象的です。

瑞泉寺を建立した角倉了以像

彼女たちの亡骸を葬った跡に、後の時代に京都の豪商で、京都と大阪を結ぶ水運である高瀬川を作ったことでも知られる角倉了以(すみのくらりょうい)が建立した瑞泉寺は今も三条大橋の西側にあり、お参りすることも出来ます。

 この展覧会を機に、京都国立博物館~三条河原~瑞泉寺と歩いて見るのも良いかも知れません。その際は、この猛暑ですので、京阪七条~京阪三条は電車を利用されることをお勧めします。

 再来年の大河ドラマの予習にもなると思います。ぜひ、特別展示にお運びください。

この秋からの『法然と極楽浄土』展のプレ企画開催中!

 ※その際、この秋からの『法然と極楽浄土』展のプレ企画として、48巻ある図案『法然上人絵伝』(京都・知恩院)の一部の巻が今の期間だけ公開されている(秋からの展示には出ない巻)ので、そちらも要チェックですよ!!

豊臣秀次公四三〇回忌 特別展示 豊臣秀次と瑞泉寺 

https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/feature/b/hidetsugu_2024/

会期 2024年6月18日(火)~2024年8月4日(日)
会場 京都国立博物館 
展示室 平成知新館1F-2~4
住所 京都府京都市東山区茶屋町527
時間 9:30~17:00 (最終入館時間 16:30)金曜日は20:00まで開館 (最終入館時間 19:30)

TEL 075-525-2473 (テレホンサービス)

Text /倉松知さと 

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関西在住。キャスター、歴史番組制作、京都情報ポッドキャスト制作などを担当後、京都・歴史ライターへ転向。
歴史ガイドブック『本当は怖い京都の話』(彩図社)ほか、京都新聞などでも執筆中。
主に京都、歴史ジャンルでのラジオ、テレビ出演、講演なども。日本旅行作家協会会員。国際京都学協会会員。最新活動は京菓子・山水會25周年記念展覧会トークイベント司会。

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