アメリカのシカゴから地元徳島へ。W LIFEの執筆陣、長野尚子さんが情熱をかける「セカンドライフ」義太夫修業STORYの第2回は、いよいよお稽古編。最後の動画も併せてご覧いただくと、そのすごさが分かります。
地元に戻って3か月。数十年ぶりにふらりと見に行った地元徳島の伝統芸能「阿波人形浄瑠璃」の世界に心奪われ、「義太夫を習う!」とその場で決意。師匠のもとでいよいよお稽古が始まりました。何もかもが目からうろこの、どきどき人生初体験!
素人が支える土着文化「阿波人形浄瑠璃」
「運命の出会い」から約3週間後、プロの義太夫、竹本友和嘉(ともわか)師匠のご自宅でのお稽古が始まりました。師匠の主催する「友和嘉会」は、下は9歳の女子小学生から上は83歳の殿方まで、幅広い層のお弟子さんが所属する徳島でも有数の義太夫部屋です。
お弟子さんは主婦、自営業、看護士、元アナウンサーなど、みな“素人”の方々。これこそが、地元民が支え発展してきた土着文化「阿波人形浄瑠璃」のユニークなところです。
まず初日は、義太夫語りのための正しい姿勢から。
膝の間を少し開け、足の指を折り曲げてかかとを立て座る、“半正座”が正式な座り方。このとき、「尻引き(尻助)」と呼ばれる小さな木の椅子をお尻の奥深くに添えるように敷きます。背筋を伸ばし、上半身の力をぬいて腰にぐっと力を入れて“出尻・鳩胸”の姿勢をキープ。義太夫の独特の発声は、すべてこの基本姿勢から生まれます。
「楽譜」はなし。「床本」が命
義太夫節にはいわゆる“楽譜”がありません。台本である「床本(ゆかほん)」が全て。
「え?たったこれだけ?」と思うかもしれませんが、本当にこれだけ。太夫はこの床本を命綱に、息継ぎ箇所、語りの速度や微妙なイントネーション、節回しの注意点など、すべてを師匠から口移しで教えてもらい、体(いや、腹!)に叩き込むわけです。
今でこそ、私のような連中(素人のお弟子)さんたちには録音が許されていて、家でお稽古を振り返ることができますが、師匠がその師匠(人間国宝で2016年に103歳で亡くなった鶴澤友路師匠)に稽古をつけてもらっていた頃は録音もメモも許されず、ただひたすら師匠の一言ひとことに全神経を集中させ、稽古のあとは忘れないうちに一目散に書き留めたといいます。
「喉から声を出したらあかん。腹と腰から!」
さて、私の人生最初に習う「外題」(演目)は、徳島藩のお家騒動を題材に作られた『傾城阿波の鳴門 順礼歌の段(けいせいあわのなると じゅんれいうたのだん)』。
盗まれた主君の刀を取り戻すため、3歳の娘、お鶴を徳島に残し大阪で盗賊に身をやつした両親のもとに、9歳になったお鶴が偶然訪ねてくる。母のお弓は実の娘と知りつつも名乗りをあげずに涙ながらにお鶴を返してしまう・・という母と子の切ない別れの段。義太夫を始める人が必ずと言っていいほど最初に習う、約25分ほどの演目です。
師匠が全体の3分の1ほどを三味線で弾き語って聞かせてくれたあと、少しずつ師匠のあとを“おうむ返し”で繰り返していくのですが、まぁその難しいこと!たった5文字を、音譜にして8小節ほど朗朗とひっぱるし、4拍子とも3拍子ともつかない変則テンポになるし、と戸惑うことばかり。さすが口伝の芸なり。浄瑠璃が西洋音楽の影響を受けていない、純粋な和の芸能であることを実感します。
特に難しいのは、複数の登場人物の「コトバ」(セリフの部分)や「地合い」(状況説明を三味線に合わせて唄う部分)がコロコロと切り替わるところ。
たとえば、物語前半、我が子だと確信するこのハイライトシーン。
「ムヽ、シテその親達の名は何というぞいの」
「アイ、父様(ととさん)の名は十郎兵衛、母様(かかさん)はお弓と申します」 と、聞いてびっくり、 「アヽコレコレ、アノ父様は十郎兵衛、母様はお弓、三つの年別れて、婆様に育てられていたとは、疑ひもない我が娘」 と、見れば見るほど幼な顔、見覚えのある額の黒子、「ヤレ我子か、懐しや」と言はんとせしが、待てしばし。・・・
(現代語訳)
お弓「それで、親たちの名はなんと言うのかい?」
お鶴「はい、父親は十郎兵衛、母親の名はお弓と申します」
と聞いてびっくりし、(ああ、これは!父様は十郎兵衛、母様はお弓。3歳の時に別れて婆様に育てられていた、とは、我が娘に違いない)と思うのだった。よく見れば、国に残した娘の幼顔とそっくり。額には見覚えのあるほくろがある。
「ああ、我が子よ。懐かしい!」と、言おうとしたけれど、いやちょっと待て・・・
母子のセリフと地合いが瞬時に切り替わったかと思うと、驚き→苦悶→号泣と、感情が一気に押し寄せる難しい場面です。これらを太棹三味線のドラマティックな音色に負けぬよう、しっかりと腹の底から語りきらなければなりません。
とはいえ、初回はそこまで気が回るはずもなく「オウム返し」が精いっぱい。腹から声を出すことの難しさにへこみ、息継ぎにあえいでいるうちに終了しました。
しかし、なんとまぁ奥深い芸なのでしょう。そしてなんと楽しいこと!
心は早くも次のお稽古へと向かっている私でした。
(つづく)
次回は、「稽古は続くよ、どこまでも。義太夫の“声”の秘密と魅力」
です。お楽しみに!
【動画】 太夫のおはなし(太夫の表現について)
https://www.youtube.com/watch?v=B7lJa0q6qNM
「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」という、今回ご紹介した「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」の有名な場面を題材に、緩急、強弱、高低、間合いなど、太夫の表現で最も重要な点について竹本友和嘉師匠がやさしく解説しています。
徳島県立阿波十郎兵衛屋敷(あわじゅうろべえやしき)
https://joruri.info/jurobe/
阿波人形浄瑠璃の上演を毎日行っています。展示室では人形浄瑠璃に関する資料や「木偶(でこ)人形」、太夫の小道具、浄瑠璃用の太棹(ふとざお)三味線などを見ることができます。徳島のお土産ショップも人気。
Text/長野尚子
フリーライター、編集者。(株)リクルートの制作マネージャー&ディレクターを経て、早期退職。アメリカ(バークレー)へ単身“人生の武者修行”に出る。07年よりシカゴへ。現在は徳島在住。シカゴのアート&音楽情報サイト「シカゴ侍 http://www.Chicagosamurai.com 」編集長。四国徳島とシカゴの架け橋になるべく活動中。著書に『たのもう、アメリカ。』(近代文芸社)。 http://www.shokochicago.com/ 日本旅行作家協会会員。