万博の年にこそ見てほしい!住友コレクション 近代美術の名品たち

 京都は東山の麓に広がる別荘地にたたずむ美術館「泉屋博古館」。「泉屋」とは住友家が用いた江戸時代の屋号です。

その建物自体もみどころのひとつである泉屋博古館


「泉屋博古館」では、この春の半世紀ぶりのリニューアルを記念した名品展第2弾 『続・帰ってきた泉屋博古館 ~近代の美術、もうひとつの在り方~』 を開催中です。普段は東京にある住友家の収集作品も京都に里帰り展示をする貴重な機会となっています。

 今回は近代美術にスポットを当てた展覧会ですが、3つの視点から見ていくとより興味深く楽しめます。

 江戸時代が終わり明治になると、西洋から「展覧会」というものが日本に入り美術の在り方に変化が訪れます。それまで絵師たちは主に将軍家や大名家の依頼を受けて描いた時代でしたが、展覧会となると、他の作家作品と一堂に集められ、並べられ、評価される。審査員らに優劣を付けられるため、自ずと受賞を目指すようになる。

 西洋に倣い、国が明治40(1907)年に「文部省美術展覧会」(文展)を始めると、美術界での立身出世を目指し、展覧会で一等をとるには?コレクターの目に留まるには?と作家たちはいわゆる「映える」作品で勝負する人も増えていったようです。

 そんな時代の勢いを感じる名品の数々が1つ目の視点「展覧会で映えるには」として展示されています。

富田范溪《鰻籠》 大正3年(1914)は第8回文展出陳作

一面銀箔の涼やかな屏風に描かれた鮮やかな緑の葉、点在する籠は鰻を捕るための仕掛け。東京美術学校時代の若き富田が故郷の愛知県に戻った時に着想を得た絵といわれています。酒井抱一の夏秋草図屏風を彷彿させる銀箔の使い方、琳派を踏襲しながらも20歳前半の若さ溢れるオリジナリティーも感じられる作品。籠の上に乗るセキレイは目まで描写され、籠の目も実に細やかに描かれています。籠が上半分しか見えないと思ったら、この銀箔は水面を表現していたことに気付きます。

香田勝太『乱菊図』 大正3(1914)年も銀地が効果的

 銀地に油彩を用いた印象派のようなタッチのこの作品も第8回文展出陳作。西洋画の写実性と日本画の装飾性の融合を試みたこの作品は「新日本画」と話題を呼んだそうです。

左:板谷波山 「葆光彩磁珍果文花瓶」 大正6(1917)年 右:北村四海 「蔭」 明治44年(1911)年

 そのほか、ぼんやりと包み込むような光がモチーフを淡く浮かび上がらせる不思議な美しさを放つ大作で、日本美術協会展で最高賞の金牌第一席を受賞した板谷波山の「葆光彩磁珍果文花瓶」(重要文化財)や、一見、未完成に思えるノミ跡が印象的な当時画期的な大理石作品 北村四海の「蔭」 など、いずれも泉屋博古館東京から京都へ里帰り中です。

 展覧会に懸ける意気込み、それらの作品を住友コレクションとした審美眼の持ち主である第15代住友家当主・住友友純(以下、春翠)にも思いを馳せながら楽しんでみてはいかがでしょうか。

第5回内国博出陳作 二代井上良斎「巌上白鷲置物」 明治時代19世紀

実は文展よりも前に、博覧会で展示するということもありました。

我が国で内国勧業博覧会が初めて開かれたのが明治10(1877)年。第1回から3回までは東京の上野で、第4回は京都の岡崎、そして第5回は明治36(1903)年に大阪の天王寺で開かれました。現在の天王寺公園などが遺産として残っています。第5回内国博は初めて海外から十数カ国の参加もあり、もはや内国博というよりさながら万国博覧会の様相を呈しました。この大阪での成功が後に1970年の万博誘致へとつながり、そして今年、また大阪で万博が開かれているのです。この明治の博覧会に出展した作品も住友コレクションとして収集されました。堂々と世界に向けて日本の技術、文化力を発信した「映える」作品もぜひ大阪で万博が開かれている今こそお楽しみください。

岸田劉生 「塘芽帖」 昭和3(1928)年頃

 2つ目の視点は「類は名作をもって集まるー文人の交流と美術」です。代々当主が漢籍や東洋の美術に親しんできた住友家。文人趣味の作品コレクションも多く、これらは決して展覧会で映えるような華やかさはなくとも、同好の仲間たちの楽しみとして生み出された、まさに「もうひとつの在り方」としての楽しみ方です。油彩のイメージが強い岸田劉生の珍しい日本画作品は絶筆作のひとつ。住友春翠の息子・寛一に岸田の遺族から譲られたと伝わります。岸田と寛一の親交の深さがうかがえる逸品です。

木島櫻谷 「燕子花図屏風」 大正6(1917)年 (京都での展示は7月21日まで)

 3つ目の視点は「空間を飾る、客人をもてなす」です。この泉屋博古館自体、住友グループが1970年に大阪で開かれた万博のお客様をもてなす迎賓館的役割を担いましたが、大正4(1915)年に大阪天王寺の茶臼山に本邸を移した住友春翠は、屋敷に招いた賓客の目を楽しませるため室内を飾る美術品を収集しました。そのひとつがこの燕子花図屏風です。

尾形光琳の燕子花(かきつばた)図屏風のオマージュ的なこの作品は、明治後半から大正期にかけて文展の花形として人気を博した京都の日本画壇を代表する画家のひとり、木島櫻谷によるものです。

 この絵は実は四季連作屏風のひとつで、この他に柳桜図、菊花図、雪中梅花があります。

 「あの天王寺の茶臼山本邸に飾られていたのか・・・・・・。」と思った瞬間、ふと、先日、天王寺の大阪市立美術館で開催された国宝を集めた展覧会に尾形光琳の燕子花図があったことを思い出しました。

 なんという奇遇・・・・・・。大阪市立美術館が今、この天王寺の地にあるのは、美術館用地に難航する大阪市に対し、大正15(1926)年に住友春翠が日本庭園の慶沢園を含む6ヘクタールもの広大な住友家本邸の敷地を寄贈したからなのです!

 今年春から大阪での万博を記念して京都、奈良、大阪の公立美術館が大規模展覧会を開き、私も全て通ったのですが、ここにきて、時は違えども同じ大阪天王寺の地に飾られたふたつの燕子花図屏風を期せずして目にし、「これでコンプリートできた!」という妙な達成感に浸ることができました。

 もし、同様に大阪市立美術館で尾形光琳の燕子花図屏風をご覧になった方はぜひ、こちらへいらして同じ達成感を味わって欲しいものです。その際、この屏風は7月21日(月・祝)までの展示ですのでお急ぎください。

上:建物模型、下:泉屋博古の庭

 

 今回はブロンズギャラリーについては触れていませんが、『中国青銅器の時代』展も同敷地内で8月17日(日)まで開催中です。1970年万博の年に竣工したこの京都本館青銅器館。設計した日建設計の小角亨氏の大学の後輩に当たる京都工芸繊維大学の学生さんたちによる模型も展示されています。エッシャーのだまし絵のように展示室に入るとぐるぐると回りながら時空を超えて不思議な感覚になるユニークな建築の妙を模型でもぜひお楽しみください。

 作庭家11代植治による「泉屋博古の庭」も満喫し、住友家らしいおもてなしの空間にとても豊かな時間を過ごすことができました。

 哲学の道もすぐ近く、絵画、陶芸、工芸、書、そして建築、お庭といろんな楽しみ方ができる泉屋博古館。趣味の異なる人同士でも必ず各々の「好き」が見つかる不思議な美術館です。

※大阪市天王寺の大阪市立美術館、慶沢園についての記事はこちらをご覧下さい。 https://wlifejapan.com/2025/05/12/osaka-kokuhou/

                             

続・帰ってきた泉屋博古館 ~近代の美術、もうひとつの在り方~

https://sen-oku.or.jp/kyoto/
会場:泉屋博古館(せんおくはくこかん)
会期:2025年6月21日(土)〜2025年8月3日(日)
住所:〒606-8431 京都府京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24 
時間:10:00〜17:00(最終入館時間 16:30) 休館日:月曜日(7月21日は開館)、7月22日(火)
入館料 :一般 1,000円(800円)、学生 600円(500円)、18歳以下無料 ※併催のブロンズギャラリーの入場込み
TEL :075-771-6411(代表)

Text /倉松知さと 

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関西在住。キャスター、歴史番組制作、京都情報ポッドキャスト制作などを担当後、京都・歴史ライターへ転向。
歴史ガイドブック『本当は怖い京都の話』(彩図社)ほか、京都新聞などでも執筆中。
主に京都、歴史ジャンルでのラジオ、テレビ出演、講演なども。日本旅行作家協会会員。国際京都学協会会員。最新活動は京菓子・山水會25周年記念展覧会トークイベント司会。

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