京都発:琵琶湖の水を京都に引く!70年ぶりに復活の琵琶湖疏水を船で行く その③

琵琶湖の水を京都に引く」。そんな壮大な夢を明治の人はやってのけました。それが約130年前に完成した「琵琶湖疏水(そすい)」です。一度は使われなくなった水路を約70年ぶりに復活させ、琵琶湖疏水船の秋の運行が始まっています!貴重な船旅をリポートの最終回です。

 

【滋賀県大津市から始まった疏水の旅】

長いトンネルを抜けると京都市山科(やましな)区です。

 

山科の地は古来から交通の要衝で、特に江戸時代は東海道筋の町として栄えました。

明治以降は自然豊かな京都のベッドタウンとして人気の地です。

山科の「疏水みち」は京都人の散歩コース。地元の人たちが春は菜の花、秋にはコスモスを植えて歩く人たちの目を楽しませてくれています。

風光明媚な山科の地は疏水船コースの中でも見所満載です。

 

しばらくすると、石の囲いが。

百人一首で一番の札、天智天皇の御陵が見えて来ました。

この地は御陵と書いて「みささぎ」と呼びます。

 

次に見えて来たのが、トップの写真にある緑の中で映える朱い橋。安朱橋

山科駅から紅葉で有名な毘沙門堂(703年創建)への参道にあり、船からも散歩をしていても写真を撮りたくなるスポットです。

これからの季節、橋と同様、木々の葉も真っ赤に染まっていることでしょう。

 

2014年に国の登録有形文化財に指定された旧栗原邸https://www.kit.ac.jp/events/events180526/ )

が見えて来ました。モダニズム建築を保存する運動がここ数年高まり、保存活動の一環で公開されることもあります。

 

第三トンネル手前に見えてきたのが日本初の鉄筋コンクリート橋です。

明治36(1903)年に架けられました。今でも十分使えます。

 

第三トンネルには第4、6代内閣総理大臣の松方正義の筆による扁額(へんがく)が。

過雨看松色(かうしょうしょくをみる)=時雨が過ぎると、一段と鮮やかな松の緑をみることができるという漢詩の一節です。

琵琶湖疏水にかかげられた扁額は、皆、この地の自然の美しさを謳うものばかりですね。

さぁ、このトンネルを抜けるといよいよ終着点、京都の蹴上(けあげ)です!

 

約1時間にわたる琵琶湖疏水の旅もついに終わりの時を迎えます。蹴上に到着。

赤レンガの建物が終着点。この建物はかつて御所へ防火用水を送る目的で作られました。美しい建築は、京都国立博物館や赤坂の迎賓館を手掛けた明治の建築家・片山東熊と山本直三郎によるものです。

船を下り、北に延びる水路の先に目をやると、水がありません!

水路の先には線路が!

これが「インクライン」です。

琵琶湖疏水を通ってきた舟は物資を積んだまま台車に載せられ、

緩やかなスロープを下って京都市内へと物資を運んだのでした。

使われなくなった線路跡は今では京都観光の名所となりました。

その傍らにこんな石碑がありました。

琵琶湖疏水の工事責任者・田邊朔郎(たなべさくろう)が

明治35(1902)年に自費で建立したもので、

琵琶湖疏水建設中に事故で殉職した17名の名が刻まれていました。

 

日本人だけの手で明治23(1890)年に完成した琵琶湖疏水。

先人たちのお陰で近代京都は発展、そして今も疏水の水は京都市民を支え続けています。

 

琵琶湖疏水船は今のところ、春と秋の運行を予定しています。

詳しくは事務局へお問い合わせ下さい。(電話での予約はしていません)

http://www.biwako-sosui.jp/

〔運営主体〕びわ湖疏水船受付事務局(JTB京都支店内)

TEL.075-365-7768 FAX.075-365-7757

Text /倉松知さと

関西在住。キャスター、歴史番組制作、京都情報ポッドキャスト制作などを経て、京都・歴史ライターへ転向。京都歴史ガイドブック『本当は怖い京都の話』(彩図社)ほか、雑誌で歴史エッセイを連載中。京都、歴史ジャンルでのラジオ、テレビ出演、講演なども。日本旅行作家協会会員。個人ブログ『京都に来るなら…』https://ameblo.jp/ciaokyoto

 

 

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