京都発:琵琶湖の水を京都に引く!70年ぶりに復活の琵琶湖疏水を船で行く その②

 

琵琶湖の水を京都に引く」。そんな壮大な夢を明治の人はやってのけました。それが約130年前に完成した「琵琶湖疏水(そすい)」です。一度は使われなくなった水路を約70年ぶりに復活させ、この秋の運行が始まっています!紅葉近づく京都で、貴重な船旅をリポートします。

 

伊藤博文 揮毫の額がかかる 明治時代のトンネルをくぐって

滋賀県大津市~京都市蹴上(けあげ)を結ぶ琵琶湖疏水船・めいじ号に乗っていざ出発!

12名乗りで皆、外側を向いて座ります。

 

途中4つのトンネル(第一、諸羽、第二、第三)があり、それぞれの入り口・出口の上部に掲げられた「扁額」(文字が書かれた額)は見どころのひとつです。

 

最初に見えて来た扁額の文字は「気象萬千」(きしょうばんせん)。

様々に変化する風光は素晴らしいという意味で、宋の時代の書物からとった言葉を初代内閣総理大臣の伊藤博文が揮毫したものでした。

この他、山県有朋やこの疏水事業を推し進めた北垣国道京都府知事など、疏水の旅の道中、全部で7つの扁額に出会えます。

 

さて、扁額をくぐると、いきなり真っ暗なトンネルへ……。急に気温が下がります。ガイドさんのお話では4~5度ほど低い場合もあるとか。

一直線のトンネルに入ると遠く向こうに小さな光が見えました。あれが出口、でもそう簡単には出口には近づきません。それもそのはず。トンネルの長さは2.4キロメートルもあったのです!

 

当時のまだまだ未発達な土木技術でこれほどのトンネルを、しかも日本人だけの手で掘るには、かなりの苦労があったことでしょう。

実際、夜に技術者を養成し、翌日実践するということもあったようで、当時の人たちの疏水に懸ける熱い想いに頭が下がります。

途中、トンネルの天井部分に大きな穴が空いています。それは我が国初の「竪坑(たてこう)」の跡。

トンネル工事は普通、山の両側から掘り進めますが、同時に山の上から垂直に掘り進み、そこから両側に向ける手法=「竪坑」が採られました。これにより工事期間は大きく短縮されました。

 

最初のトンネルの出口がやっと近づいて来ました!真っ暗闇と鮮やかな木々の葉色のコントラストの美しいこと!!きっとこれからはこの緑色が赤く染まっていくのでしょうね!

 

 

 

こうして1つ目のトンネルをくぐり、大津市と京都市の境界辺りの水辺を楽しむ旅が始まります。

 

京都では、疏水べり~南禅寺辺りにかけて 桜や楓の葉が少しずつ色づき始めています。(2018年11月11日現在)

次回、山科~終着点・蹴上(けあげ)の見どころをお伝えします。

 

◎琵琶湖疏水船 公式HP  https://biwakososui.jp/biwakososui/

Text /倉松知さと

関西在住。キャスター、歴史番組制作、京都情報ポッドキャスト制作などを経て、京都・歴史ライターへ転向。京都歴史ガイドブック『本当は怖い京都の話』(彩図社)ほか、雑誌で歴史エッセイを連載中。京都、歴史ジャンルでのラジオ、テレビ出演、講演なども。日本旅行作家協会会員。個人ブログ『京都に来るなら…』https://ameblo.jp/ciaokyoto

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