女の後半戦は起業という手もあり①チャンスは偶然の連鎖、主婦、ライターからインポーターへ

ベストセラーの終末本とバブルに浮かれた20代。その後の主婦から人気雑誌のライター、ワインインポーターとして起業とまぶしいように見えますが、そこには偶然あり感激あり、運命を動かしたポイントが。女の後半戦は起業という手もありと早坂恵美さんのスト―リーが教えてくれます。

1973年に発刊された『ノストラダムスの大予言』を読んだのが小学生の時。3ヵ月で100万部を突破し、1998年までに450版209万部の大ベストセラーとなった本です。1999年7の月に人類は滅亡するとその本は断言しており、私たちは夢中で読みました。

さて1990年、時代はバブル真っ盛り。滅亡するのだから貯金する意味はないし、就職は引く手あまただしと人生ナメきった20代を過ごしておりました。ところが、滅亡するどころか普段通りの生活は続き、おまけにバブルも崩壊したわけです。男女機会均等法が施行された元年に就職し、結婚したら家庭に入れという古い親世代の考え方と女性も男性と同じように仕事するという考え方の狭間、時代の裂け目、分かれ目のようなところにまるでサーフィンをするように生きて来たのが、私たち世代なのかもしれません。

さて、子育ても一段落し、やれやれと思っていたところに、出てきたキーワードが「人生100年」。「おいおい、もうひと人生あるってこと? 勘弁してくれよ」。その前の人生前半戦だってたいへんだったんですから。

次男を出産したのは39歳の時。生後4ヵ月で喘息を発症し、入退院を繰り返すこととなりました。小学低学年の長男と入院中の次男の間を行ったり来たりの生活。次男は入院すればいつも長引いていました。手に点滴を打たれたままの次男のそばで読んだのが雑誌『STORY』です。

2年後、その何月号かにライター募集の記事がありました。この状態から抜け出したい一心で応募した記憶があります。500人くらいの応募の中からライターとして選ばれたのは本当に幸運でした。STORYのライターは、想像以上に大変な仕事でしたが。今、あの病院で読んだ雑誌に応募したことから、私の人生は大きく変わって行ったのだと確信します。

チャレンジストーリーという女性の生き方のページの担当になりました。そこで私はたくさんの同世代の女性の生き方を取材することとなったのです。「40年も生きていればいろいろあるよね、でも、輝いている」女性を沢山取材し、記事にしていきました。

そんなある日、自然派ワイン界の先駆者であった、新井順子氏を取材しました。私は元々お酒が好きで、その時にいただいたワインを飲みながら、記事を書いておりました。彼女がフランスで醸造した無農薬で栽培された葡萄で添加物がいっさい入っていないワインを飲んだ時、身体が喜んだのです。酒がさめる時に感じるいやな感じがいっさいなく、私はとても「感激」しました。

「感激」は人を動かします。それから私は彼女の教室に通い、ワイン会にも出席し、原稿料は全てワインへと費やしてしまいました。好きなワインを飲むのは楽しいけれど、自分でワインを探して輸入したらもっと楽しいに違いないと当時のワイン仲間と話が盛り上がり、その勢いで会社を作り、気がついたら社長と呼ばれるようになっていました。

私たちの年齢で希望の職種に就職するのはなかなかハードルが高いことです。自分の夢をかなえ、経済的にも自立する手段としての起業は多いにありだと私は思います。結婚と同じで続けることがとても大変。でも大波を乗り越えるコツだってあります。そんなことをお伝えしていければと思っております。

Text /早坂恵美

早稲田大学卒業後、地元広島の地域雑誌創刊編集長を経てフリーランスライターに。結婚して12年間の専業主婦の後、「saita」「STORY」などの女性雑誌を中心にライター業を再起動。47歳でワインのインポート会社を起業の後、飲食店も経営。現在は自然派ワインの販売を主な事業とする株式会社オーシャンダイナーズ代表取締役。横浜在住。

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